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今を生きる私たちが、未来の子どもたちにどんな千葉を引き継ぐことができるか、一緒に考えることができれば嬉しいです。          


by bakin_yume
4月28日、利根川下流域の調整池見学と「美しい手賀沼を愛する市民の連合会」との意見交換会に参加しました。

千葉県と茨城県の県境を流れる利根川をはさんで 田中調整池と稲戸井調整池と菅生調整池があります。見学をしたのは千葉県側の田中調整池と茨城県側の稲戸井調整池でした。
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(荒川上流河川事務所より)
調整池といっても、池になっているのではなく、普段は農地であったり、空き地であったりしています。
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利根川調整池 ~八ッ場ダムは要らない~_a0247884_0571610.jpg

千葉県柏市・我孫子市にある田中調整池は、普段は農地になっていて、ちょうど田植えが始まっていました。利根川の囲繞堤(いじょうてい)と周囲堤に囲まれた11.75K㎡の広さで 洪水の時には越流堤(えつりゅうてい:囲繞堤より約3m低くなっている)を超えて流れ出た川の水を6100万㎥貯めることができます。洪水が治まれば、排水門を通して、調整池の水は利根川に戻されます。


昭和30年以後、今まで、台風シーズンの7~9月の間に15回越流していますが、3日~1週間で排水を完了しています。心配されるのは 育った稲などですが、稲は2~3日冠水しても持ちこたえることができるそうですし、不十分ながら、共済組合から補償金が出るそうです。
上は、調整池になる農地、中は手前の低いところが越流堤、高いところが囲繞堤、下は排水門
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対岸の茨城県取手市にある稲戸井調整池は現在国有地がほとんどで(国が買い取ったそうです)4.48K㎡で、現在は約1900万㎥の容量があります。国は、容量を増やすため、掘り下げる計画をしているそうですが、野鳥や野草などの恵まれた自然が破壊されることが懸念されています。
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稲戸井調整池の越流堤(向こう側に深さをあらわすメモリがあります)






今回は見学できませんでしたが、菅生調整池は 5.92K㎡、約2850万㎥の容量があるそうです。

ここで、問題なのは、群馬県の吾妻郡の八ッ場ダム建設計画です。昨年末 国土交通相が、中止されていた八ッ場ダムの建設再開を表明しました。
この、八ッ場ダムの建設の目的の1つである洪水調節容量は、6500万㎥といわれています。現在の利根川下流の3つの調整池の容量は田中調整池が6100万㎥、稲戸井調整池は1890万㎥、菅生調整池は2850万㎥で、計10840万㎥。八ッ場ダムの調整要領を優に超えています。

1年半前、八ッ場ダムに訪れました。紅葉のきれいな時期でもあり、吾妻川渓谷は日本の美しさを十分に味わえる自然豊かな場所でした。しかし。吾妻川に臨む湯河原温泉は、閉館した温泉あり、閉店した店があり、さみしい温泉街でした。もっと、驚いたのは、水没する村の移転先の光景です。先祖を祭る墓地もそこに据え置かれたような有様であまりにも人の気持ちを無視しているようで悲しみを覚えました。

来月にはその八ッ場ダムの予定地を訪れたいと思っています。
# by bakin_yume | 2012-04-29 23:50 | 公共事業

高齢者の問題

23日から25日まで、愛知県に帰省してきました。
父は、今年90歳になりますが一人暮らしをしています。まだまだ、頭はしっかりしていますが、そろそろ、一人暮らしは
心配な様子が見えてきています。しかし、夕食だけは配食サービスを利用していますが、家事をマメにこなしています。私が行くと、男の煮物料理を作ってくれています。
母は、認知症、軽い脳こうそくがあり、転倒による大腿部骨折を境に、病院を経て2年前から特別養護老人ホームのお世話になっています。

母のお世話になっている特別養護老人ホームは、豊橋駅からバスで30分ぐらいかかる福祉村にあります。福祉村とは、病院(内科・精神科・神経内科・リハビリテーション科)老人保健施設、長寿医学研究所、介護型療養施設、療養型療養施設、ケアハウス、特別養護老人ホーム、グループホーム、障害者支援施設、障害福祉サービス事業所などが1つの敷地の中に配置された総称です。
福祉村病院は、認知症専門病院として50年近くの実績があります。障害者の方も高齢になっても 同じ敷地内で介護を受けることができます。

母は、大腿部骨折後、家の近くの病院でリハビリを続けていましたが、認知症と機能の衰えがもともとあり(要介護2)気力が衰えたということで、家族に説明もなく、高齢者には重篤症状の副作用がある薬を投与され、服用をやめてからも全身膠着などのひどい副作用に1か月余り苦しみました。リハビリ病院では、期間の3カ月が迫り、退院への脅迫まがいの言葉もあり、友人から教えられた福祉村病院にメールで問い合わせましたところ、すぐに快く受け入れていただきました。転院後、母は、自力歩行も可能になり、特別養護老人ホームの空きを待ち、2年前に移りました。
病院から移る時も、事前に特養の方が、何度も母と面会し、居住が変わっても不安なく暮らせる配慮があり、移動した後も何の不安もなく、暮らせることができています。

特別養護老人ホームは、全国的にも待ち年数が長く、両親の住む、市町村では 要介護3以上、家族構成も考慮されてA・B・Cに分けられ、Aから順に入居ができるようになっています。在宅といっても、老老介護は限度があり、まして、どちらか、あるいは両方に認知症がある場合は、難しいと思います。子ども世代と同居の場合は、また 違った面の難しさがあると思います。
当別養護老人ホームに入居できても、病気、怪我など 通院が必要な場合は家族が付き添います。入院ともなると、特養の部屋代を支払いながら 他病院に入院という 2重の支払いが発生します。

母のいる福祉村の特養は、看護師が日中は数名、夜間も何かあればすぐに対処できる体制になっています。病院は敷地内にあり、家族が遠方であったり、高齢など付き添えない場合も対応できるようになっていて、認知症が少しずつ進み、機能も少しずつ衰えている母を安心してお願いできています。

私が一番安心でいられるのは、施設の介護士、看護師を始め、お世話くださる方々が、機能が衰えないように、しかし、本人が一番穏やかに暮らせるように、と常に考えて接してくださることです。ときどき、私を見ても、「誰?」という顔をする母ですが 穏やかに「ありがと」と手を合わせる姿に きっと、母も 満足していてくれると思い、私も満足をしています。

施設を増やす、介護者を増やすだけではなく、環境の変化を最低限におさえる工夫として(高齢者にとって環境の変化は心身ともに大きな影響があります)福祉村のような一体型の施設を国として指導して増やしていってほしいと思います。
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右がユニット型の特別養護老人ホーム 
# by bakin_yume | 2012-04-27 23:41 | 独り言
NHKBSで国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会のチェルノブイリ調査の放送を見ました。
国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会は、
①東京電力福島原子力発電所事故にかかる経緯・原因の究明を行う。
②今後の原子力発電所の事故の防止および 事故に伴い発生する被害の軽減のための施策または措置について提言を行う。
を目的として国会に設置された期間です。
構成メンバーには、元国連大使、元放医研の主任研究官、さらに被害にあわれた福島県大熊町の民間人も加わわっています。

チェルノブイリ原発事故はちょうど26年前の1986年04月26日 当時のソビエト連邦ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の操業休止中であった4号機が炉心溶融(メルトダウン)後 爆発しました。26年たった今も、半径30㎞は居住禁止区域になっています。
チェルノブイリ原子力発電所跡の周辺では現在でも2.86μSv/hとのこと。放射性物質を含むがれきは ウクライナ政府が処分場を設置し、現在も受け入れているそうです。
また、常時、放射性物質を監視し、湖や川も底に放射性物質が蓄積しているので、徹底的に数値を測って調査を続けているそうです。

先日、チェルノブイリ事故直後に事故処理に当たったリクビダ―トルの証言を見ました。ガンだけでなく、身体のあらゆる部分が病魔におかされ、 精神を病み、捨てられたように亡くなっていく絶望感。家族の証言では、生きながら朽ちていく様子に想像すらできませんでした。

核戦争防止国際医師会議ドイツ支部著によるチェルノブイリ原発事故のドイツのおける被害は、これから日本が向き合わなければならない現実をみるような気がしました。

国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の目的②に、「今後の原子力発電所の事故の防止および 事故に伴い発生する・・・・」とあります。原発事故は絶対にあってはならないものだと思います。もし、チェルノブイリ規模の事故が起これば、日本人は、何処に住めばよいのでしょうか。
# by bakin_yume | 2012-04-26 23:45 | 原発・放射能
4月25日の毎日新聞1面より
厚労省は2011年2月に2012年4月から適応の「食品の放射性物質の新基準」を設定し、4月1日から施行されています。しかし、そこには、市場の混乱を避けるために経過措置(p10)が設定されています。その経過措置で混乱が起きているようです。

実際に、食品を口にする消費者としては、特に、子どもに対しては、経過措置は受けいれられるものではないと思います。
乳児用食品と、子どもの摂取量が特にが多いとされる牛乳は、50ベクレル/㎏ですが、一般食品でも子どもが多く食するわけですから、50ベクレル/㎏であってもよいのではないかと思います。
では、何を持って 新基準値以下であると判断するのか。
ちば市民放射能測定室「しらベル」で4月以降、20ベクレル/㎏の証票が貼られていた原木シイタケを測定したところ、100ベクレル/㎏近い数値が出ました。新基準以下ですが、証票の20ベクレル/㎏以下ではありません。消費者は証票を信じで購入するわけですが、こういうことが繰り返えされると、何を信じて食すればよいか。
農家の方は、わが子のように 農畜産物を育てて見えたと思います。また、流通の段階でも 誰も だまそうとは思っていないと信じたいです。しかし、少子化の中、未来を背負う幼い子供たちの健康を守るのは、私たちすべての大人の責任だと思います。

新聞には食品安全に詳しい倉敷芸術科学大学の学長の言葉として「政府が国民の信頼を失う最たる例は、一度決めたルールや基準をすぐに変えることだ。猶予期間を求めながら簡単に翻すことは問題だ」「生産者の立場で農畜産物の安全を守るはずの農水省がゼロリスクを求める風潮に振り回されすぎている」と載せています。私は、生産者の立場でも、消費者の立場でも安全を守る基準は同じであり、ゼロリスクは不可能かもしれませんが、環境問題でトータルリスクミニマムという言葉を聞いたことがありますが、リスクを最小限(ミニマム)にするためにゼロを目指す努力はすべきだと思います。
# by bakin_yume | 2012-04-25 23:20 | 原発・放射能
ドキュメンタリ映画 100,000年後の安全をDVDで見ました。
昨年から、見たいと思っていましたが、上映時間、場所が日程と合わず、やっと DVDが出て、借りることができました。この映画はフィクションではなく、ドキュメンタリーです。

「未来に生きるあなたたちのために私たちがあるものを埋めた所です。あなたたちを守るために大変なことをしたのです。ここからは離れていなくてはいけません。そうすれば安全です。」というナレーションで始まりました。

こことは、フィンランドのオルキルオト原子力発電所の構内に建設されている
オンカロ(洞窟=隠し場所)のことです。ここは、地下500メートルにつくられた世界初となる高レベル放射性廃棄物の永久処分場となります。(高レベル廃棄物は現在世界中で約25万トン)ここは、10万年持ちこたえることができるということから映画の題名は「100,000年後の安全」なのです。では、なぜ10万年なのか。放射性廃棄物が生物に無害になるのに10万年かかるからだそうです。さかのぼって、今から10万年前はどんな時だったのでしょうか。
今から約10万年前、現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て世界各地に拡がったとされるころです。
最古の洞窟壁画でさえ、約3万年前と言われています。時代でいえば旧石器の前期~中期に至るころでしょうか。なんと、長い時を要するのでしょうか。

放射性廃棄物である原子力発電から出る使用済み核燃料は現在世界に20万~30万トンあるといわれています。これを害のないものにはできません。この使用済み核燃料は、目に見えず、においもない、人間の五感では感知できないもので、人体に入ると大きな害を及ぼし人の体を確実にむしばんでいきます。私たちは原子力が生み出す利便性に多くのものをゆだねています。しかし、それに何倍も危険なものを生み出し続けていることに 未来の地球に不安を感じます。

私が会員であるエネルギー政策を考える千葉市民の会」の設立の趣旨 は、 原発震災を許してしまった世代として未来への責任を果たすこととしています。私たちは、未来のためにこの無害になるまで10万年もの時を有するものを生み出してしまったその責任をどのように果たしていくことができるか、今、考えないと責任を果たせないような気がしています。
# by bakin_yume | 2012-04-02 23:29 | 原発・放射能